よく費用対効果という言葉を聞く。大工であれば工具を購入する場合に支払った金額以上に作業時間を短縮することができて得した、とか仕上がりが良くなったいう時に使えるだろうし、同じ金物であれば近いところで入手できた、あるいは交通費を鑑みても他所より安く買えた、という時にも使えるだろう。
翻って、住宅を買う側である施主さんからみたらどうなのだろうか。これから新築住宅を建てようとする若夫婦がそこらへんによくある住宅展示場に行った場合などにそこに並んでいる家の中からひとつの住宅メーカーを選ぶといった場合には単に費用対効果という言葉を使えるかもしれない。が、多くの場合そんな単純な話じゃないんじゃないだろうか。
まず効果という言葉はこの場合耐久性や機能性、デザインというところにどれだけ満足したか、ということで「満足度」という言葉に置き換えられるだろう。つまり予算に見合った満足度あるいは満足感を与えられるかどうかが大工や工務店の評価になるということだ。一般論としては正しいんだろうが実際はなんか違うんじゃないか、という気がしてきている。
大体の場合予算と設計の決定をするときに予算に見合った設計になっていることは皆無に等しい。そして予算に合わせて仕様を落としていくという作業を経て仕事に突入していくわけだが平面計画まで減らすということはほとんどなく、仕様をどんなに落としたとしても愚かな大工は始まってしまった仕事にムキになってしまう。結局予算以上の仕事量を注ぎ込んでようやく引き渡しにいたりほとんどの場合は施主さんに満足してもらっている。
こんなことを続けていては生業として成り立たないのは分かっている。だから見積り方法が間違っているんじゃないかとか思って色々考えてみたけれどどうも一概にそうでもないらしい。
つまり設計というのは要望や期待度の高さがすべて詰まった形で表わされている。が、それに対し予算というのは貯金とかローンとかといった全く別の力学から決まってくることが多い。つまり期待度が設計でありその期待度に見合った満足度をクリアするには予算が釣り合っていない場合が多いということだ。その差を埋めるために仕様変更とかで頑張ってはみても現実としてとてもおっつかないのだ。
もう予算対満足度(費用対効果と同じ)のはなしをしている場合じゃないんじゃないか。満足度は後のはなしであって、予算という現実と、設計という要望や期待の集約との落差をどう埋めるかをなんとかしないかぎり大工・工務店の経済が成り立っていかないのだ。見積りが数字合わせになって理想と現実の落差を埋めることが最終的に施工側の負担になっている部分がどうしても存在する。
経営として極めて甘っちょろい考えだということは分かっている。が、現場が動いている最中に「ちょっとここに収納ができないかな」とかもうちょっとこうすれば使いやすくなるんじゃないか、といった提案をしながら家を作り上げる楽しさは捨てがたい。そういったある種自由さとも呼べるようなものを持ちつつ仕事をしていくためにはもうちょっとそこらへんをつめておく必要があると思う。
今後は、具体的にはこの単価ならこの仕様です、といったものを明らかにするとか、見積りのやり直しの時にここは何をやめたとか何に変更したということの履歴を明示しておくべきだろう。またあまりに理想と予算の差が激しい場合には建坪を減らすことも視野に入れるべきだ。
よく請け負いの字面を請けたら負けと読む、などという話があるが、いつまでもそんな事を言って自嘲していてもしょうがない。
なんとかしなきゃ。
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