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大工塾ネットワーク協同組合 杢人の会

28:年の瀬に思ったこと
2017.08.31

 昨年は、この村で暮らし初めて以来お世話になった方々が幾人か亡くなり、見送る年となった。
 今住む家を初めて見に来たとき、お茶でもてなしてくれたおばあさんは、子供の成長をいつも喜んでくれていた。
 あれやこれやと村中の振る舞いを教えてくれた、二軒上のじいさんの旅立ちは突然だった。
 九十近くまで一町歩の田んぼ守っていた頑固者のじいさん、その田んぼの一枚は我が家で引き継いでいる。
 村総出の間伐作業中、僕の目の前で起きた事故で亡くなったのは、牛小屋のお施主さんだった・・・。

 僕ら家族は、様々な人々に手を差し伸べてもらい今を積み上げている。積み上げている中身とは、一言で言えば自分達の可能性だ。
 お互いに必要とし、必要とされることで、それぞれの可能性(それは、生きがいと置き換えてもいい)を引きだしあい担保しあっていく仕掛けが“村”には有る。というか、“村”は、この仕掛け無しではたぶん存続できない。この仕掛けを維持しているのは、リスクを負担する事を厭わず、身銭を切ることは当たり前だとする人々の行動だ。(ただし、それは個人の人格の一部だ。また、“村”そのものの是非を問う人も居ようが今ここでは論じない)
 そしてこの仕掛けは、たぶん消費者的行動には馴染まない。消費者的行動とは、最低の対価で最高の利益を手にしようとすることだ。もしリスクの負担や、身銭を切る事態が発生すれば(普通は、そういった人たちはリスクを負わないし、身銭は切らない)、その最大限の回収に務め、最大限の権利の主張をするだろう(たまに村の総会がもめる構図だ)。またそういった行動が、様々な条件により自分の想定した結果とならなければ、妥協を強いられたと受けとるだろう。
 ここでの暮らしが始まる前は、“村”に暮らすこととは、様々な慣習や決まり事にしばられ、自分たちの自由な行動の制限(条件)と妥協していくことだと思っていた。
 それはある意味正しく、でも大枠では違った。新しい関係から生まれた可能性は、自分の狭量な経験に基づく想像を超えていた。暮らしの手段の増加や、様々な地域ネットワークへの参加など身体的な実感を伴い何倍にも拡がった。それは学生気分の延長で、自分にとって居心地のいい場所、考え方に留まっていれば、たぶん気づけなかった可能性だ。
 亡くなった方々の生前の立ち居振る舞いは(無意識にではあろうが)、“村”でのそういう生き方を示してくれていたのだ、と勝手に思いこんでいる。

 建築工事は、地理的、社会的、時間的、物理的、様々な条件を抱え進められる。大工の強いこだわり、お施主が過剰に消費者的な態度をとったり、設計者が作品として執着したり・・・、関係者がそれぞれの「自己実現」の在り方に居着けば居着くほど、諸条件は「妥協」を重ねるための後ろ向きの制約としか捉えられないだろう。それはたぶん、関わる他者や、家の可能性に蓋をしていく行為だと思う。
 僕は、人々の可能性(生きがい)を最終的に保証するものは、消費者的な装置や、かたくななこだわりの中には無いことを直感として確信している。一方で、木造建築とは、人々の可能性を保証する装置に与しやすいだろうことも確信している。僕は、自分の仕事が、造る過程も、完成してからもできるだけ多くの人々の可能性を開き、保証する装置であり、場であって欲しいと思う。たぶん、そういった方向に開いている現場では、人々はお互いの仕事を越境しあい共生する。様々な条件も、人々の可能性のオプションを増やす条件となるはずだ、と、今はそう思っている。自分が(食うや食わずの)大工を続けていく意味はそこだろう。

年の瀬に思ったこと

投稿者:今枝一

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