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大工塾ネットワーク協同組合 杢人の会

27:改築という仕事
2017.08.31

 近年、新築の仕事からは随分遠ざかっていて、既存住宅の改築仕事が主となっている。結果的にそうなっているだけで、意図してそうしている訳ではない。新しく家を建ててくれと頼まれることは、もちろん嬉しいことであるし、ゼロから新しくものを作り出す喜びは何物にもかえがたい。そうした新築仕事はやはり華々しく、一生涯続けば大工としては大成功の人生だったということになるだろう。しかしその一方で「こんなにスクラップアンドビルドを繰り返してどうするんだ」という思いはつきまとう。これから人口が減ってゆこうとする時代にあって、寿命30年余りの家を大量生産し続ける世情は、やはりどこかおかしい。
 比べて、改築仕事というのはどちらかというと地味で目立たない仕事だ。泥臭くて、手間がかかって、汚れる仕事で、それでいて当事者以外は「どこを工事したの?」と思うような事例も多い。しかし、長く住み続ける事ができる家が世に増えてくれば、必然的に新築は減り、家の維持工事が大工にとって主の仕事となる。新築仕事はハレであり、改築仕事がケということだ。家が子々孫々受け継いで行くものであった昔、大工の役割とはまさしくそうであったのではないか。
 改築仕事では、新築工事にはない「こわし」という作業が、多かれ少なかれ必ず発生する。新たに使えるようにこわすために、作った時とは逆の順序で解いてゆく。過去の知らない大工の新築の作業を逆の順序で追体験するわけだ。こだわってつくった場所、少し手を抜いた場所、苦労した場所などが手に取るように分かりおもしろい。そういった多くの作業の中から得たひとつの事実は、古い家ほど修繕がしやすいということだ。時代が新しくなるにつれ、改築・修繕が難しくなる。耐久性のない材料の使用や、多用される金物、接着剤で強度を維持させているものを現場で目の当たりにして頭を抱えることが多い。戦後の住宅の流れは明らかに「使い捨て」だ。直すことも手を加えることもできない住宅のリフォームは、所詮表面だけを取り繕うお化粧直しに過ぎず、そこに積極的な価値は見出せない。「新築そっくり」というのはあくまで「そっくり」なのであって、「ニセモノ」だということだ。大金をはたいてまで、いまどきの新築そっくりに似せるという工事がそれほど価値のあることだろうか?
 結果、改築仕事において古民家と呼ばれるものの比重が高くなるのは至極当然で、それは「修理しながら住み続ける」ことを前提としてつくられたものだからだ。これを大工において最も大切な思想だとすれば、表面上のいろいろな見栄やこだわりも、家づくりにおいてはさほど重要なことではないように思えてくる。使う材料は身近で、種類は少ないほど良い、かたちやデザインも単純なほうが良い、大壁よりも真壁がいい、新建材や接着剤は使えない、金物よりも込み栓、ビスよりも釘、釘も隠さず正面打ち等々。改築仕事の楽しさは、現世では得られない様々な大工の思想ともいうべきものを、こうして昔の大工から生で教わることができるところにある。修理して使い続けることのできないものには決して愛着は湧かないし、こわすときのことを考えてつくられていない独善的なものづくりにも、やはり価値はない。

投稿者:久良大作

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