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大工塾ネットワーク協同組合 杢人の会

45:「手書き」は消滅させられている
2017.09.06

「手書き」は消滅させられている
冒頭の写真を見て、「30年前の設計事務所?」と思うかもしれませんが、これは私が日々設計の仕事をしている製図版です。40年前に設計事務所に入った時とほとんど同じで、T定規、勾配定規、ステッドラーのホルダー、芯研ぎ器(40年前のもの)等々、ずっとこれでやってきました。「なんで、そんなにこだわるの」とよく聞かれるですが、こだわる気持ちは少しもありません。木造住宅の設計に何ら不自由を感じないし、手で書くのが好きなので変える気も起こらなかったと言うことなのです。ところが、最近は手書きがほとんどなくなってきて、手書き用の道具や材料が手に入らなくなってきました。ステッドラーの芯も種類が減って、トレーシングペーパーもずっと使ってきたものが製造中止になってしまいました。図面を焼く青焼き機はかなり前に製造中止になっています。手書きは、パソコンの製図に代わられて、そろそろ終わりかなと感じていたのですが、どうやら、そうでもないといということに気が付く機会が最近ありました。

1 月から開催している木造設計塾で、杢人の会の大工さんに、順番にどのように墨付けの作業をやるのか実演を交えて語ってもらう講義を設けたのですが、そこで気がついたのです。大工さんは、刻みや造作を始める前の作業として、必ず手書きで図面を描いて確認することをやっていたのです。紙に書く人、ベニヤ板の上に書く人、杉板の上に書く人、やり方はいろいろですが、手で書く作業はみんな変わらなかったのです。こんな作業はコンピューターではできないので、当たり前といえばそうなのですが、設計事務所の図面を自分流に書きなおして、間違いがないように確認するのは、必要から生じた当然の作業だったのです。手書きは事務所だけにあったわけではなく、大工の世界にもあって、今でも手で刻む大工の世界では欠かせない作業として残っているということだったのです。これは私も同じで、なにか元気付けられる発見でした。

手で作る作業も手で書く作業も、人間が営々と続けてきたことですが、現在の効率化の要請の中で、消滅しつつあります。持続可能な技術としきりに言われていますが、手書きこそそれを実現していた技術であり、これからはますます基本的な技術として必要だと思われるのですが、逆に消滅の道を辿っているのです。手書きとコンピューターの製図とを比較してどちらが良いかと議論することは不毛ですが、ジェレミー・シーブルックが「世界の貧困」(青土社)の中で指摘している次のことは、深く考えるに値することだと思います。
「欧米が現在、持続可能性を日常的に呼びかけているとするなら、それは持続可能性〔それ以前の世界はもともと持続可能(=維持可能)だった〕をより効率よく破壊するためなのである」〔〕は丹呉。
シーブルックの指摘は地球上の貧困の原因を探る中でのものですが、手書きの世界に生じていることも、ほぼ同じ範疇のものだと考えられます。
手書きは消滅しているのではなく、消滅させられていると考える方がより正確なことなのです。

※「日本の可能性」(岩波書店)のなかで、宮本憲一は「持続可能な発展」ではなく「維持可能な発展」を主張している。
「持続可能な発展」:主体的に開発を持続するために環境を保全すること
「維持可能な発展」:地球という客体を維持できる範囲で経済や社会の発展をすすめる

手書きの設計図

投稿者:丹呉明恭

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